1月18日金曜日

夕方出掛けていろいろと質問された。
面倒だったので、ざっくり答えた。

阪神大震災の翌日がオカンの誕生日なので報道されると明日かあと気づく。

電話してみると
「憶えてたの」と毎年寸分狂わず同じセリフを言う。

キキララって風神雷神なのかと訊かれ
「そーじゃないけど、そーかも」と、間違ってもいないし正しくもないと思うと伝えた。
現代美術で使えるな手法である。


「もう …ジューキューだよう」と聴こえてしまい「19」浮かんで漂った。

1950年生まれだと

計算がとてつもなくしやすいのけどオカンは昭和計算しかしない。

散歩時に電話したが強風でノイズが多いので手短に切った。

平成をまたいで、いよいよ西暦計算するのだろうか。

元号は使わないし、興味がない。

もったいぶることで存在を維持してるような錯覚さえ。

さっさと発表しちゃった方がいい。

ラジオで、木村カエラがいった元号「大福」はとってもいいと思う。
幸せ感が漂うので、とてもシックリときた。



「さいはてには、やさしい香りと待ちながら」を観ながら眠った。

余白の多い話で、石川県の能登の海岸が舞台。

服とか車とか家のすぐ前の海とか、とにかくブルー。

冒頭の久々に髪の毛が黒いイッセー尾形と永瀬正敏にだいぶ持っていかれる。

雰囲気映画で、

誰かを待ちながら居場所がない人たちが居場所を見つけたり探したりする内容。

長まわしが、

主人公の永作博美との距離感を反動として作ってしまっており

着地せず感情移入すれすれにできなかった。

演じる俳優として佐々木希を見事にはめ込んだのは初めて観た。

宮沢賢治 よだかの星をモチーフにしているのだけれども、

朗読しているシーンが絵とか動作とか、とにかく忙しくぶつかって空回りしていた。

あの映画の居場所はむずかしいだろう。

日本海側に生活した人の肌で感じて生活している色は、

緑、しかも深い緑が日本海だから乖離していて理由がそこから伺える。

終始、馴染めなかったのは、

日本海に、土着性がないと結果として足がつかなかったからかも。

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